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彦根城 - Wielka Encyklopedia Wiedzy

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    彦根城

    出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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    彦根城
    滋賀県
    天守(国宝)
    天守(国宝)
    通称 金亀城
    城郭構造 連郭式平山城
    天守構造 複合式望楼型 3重3階地下1階(1604年築)
    築城主 井伊直継
    築城年 1622年(元和8年)
    主な城主 井伊氏
    廃城年 1874年(明治7年)
    遺構 天守、 櫓、門、塀、馬屋
    石垣、土塁、堀
    指定文化財 国宝(天守等2棟)
    国の重要文化財(櫓、門、馬屋等5棟)
    再建造物 御殿
    位置 北緯35度16分35.12秒
    東経136度15分6.8秒
      


    彦根城(ひこね-じょう)は、日本近世にあたる江戸時代に築かれたの一つ。江戸時代及び明治2年(1869年)の版籍奉還後から明治4年(1871年)廃藩置県まで彦根藩の役所が置かれた。

    滋賀県彦根市金亀町にある彦根山に、鎮西を担う井伊氏の拠点として置かれた平山城である。山は「金亀山」との異名を持つため、城は金亀城(こんき-じょう)とも称される。

    明治初期の廃城令による破却を逃れた数少ない城であり、国宝に指定された現存天守のある4城の一つに数えられる。

    目次

    [編集] 概要

    日本に12箇所現存する、安土桃山時代から江戸時代にかけて建造された天守を有する城郭の一つである(現存天守)。

    多くの大老を輩出した譜代大名である井伊氏14代の居城であった。

    1873年(明治6年)の廃城令で数多くの城が失われるなか、一説では大隈重信の上奏により1878年(明治11年)に破却を免れたとされる。

    国宝の天守[1]、附櫓(つけ-やぐら)および多聞櫓(たもん-やぐら)のほか、安土桃山時代 - 江戸時代のなど5棟が現存し、国の重要文化財に指定されている。中でも馬屋は重要文化財指定物件として全国的に稀少であり、国の特別史跡に指定されている。

    1992年(平成4年)に日本の世界遺産暫定リストにも記載されているが、世界遺産登録は大変厳しい状況にある。滋賀県下で唯一、城郭建築が保存された(#歴史・沿革を参照)。

    [編集] 構造

    城の形式は連郭式平山城。また、現存例の少ない倭城築城の技法である「登り石垣」が良好な形で保存されている。なお、城の北側には玄宮園楽々園という大名庭園が配されており、これらは国指定の名勝である。

    [編集] 地理特性

    湖と山の間、5kmほどの狭い平地に立地する彦根は、中山道北陸道(俗に北国街道と称)が合流し、水陸からに至る東国西国の結節点であり、壬申の乱(672年)・姉川の戦い(1570年)・賤ヶ岳の戦い(1583年)・関ヶ原の戦い(1600年)等、古来、多くの合戦がこの地域で繰り広げられている。 戦略拠点としてその点に注目され、織田信長は佐和山城に丹羽長秀を入れ、ほど近い長浜城羽柴秀吉に与えている。 また、豊臣秀吉徳川家康はそれぞれが筆頭格の譜代である石田三成井伊直政をこの地に配置している。

    [編集] 建築

    彦根城の建築物には、大津城からの天守を始め、佐和山城から佐和口多門櫓(非現存)、小谷城から西ノ丸三重櫓、長浜城から天秤櫓、どこのものかは不明とされているが太鼓門、等の移築伝承が多くある。 建物や石材の移築転用はコスト削減と工期短縮のために行われたもので、名古屋城岡山城姫路城福岡城など多くの城に同様の伝承が伝わっている。

    時代劇の撮影などでも使われる天秤櫓は長浜城から移築したといわれている[2]。この天秤櫓は、堀切の上の掛橋を渡った突き当たりにあたる、長い多聞の左右の端に2重2階の一対の隅櫓を構え、あたかも天秤ばかりのような独特な形をしている。

    天守は3重3階地下1階の複合式望楼型で、2重目以上の窓はすべて華頭窓を配し、最上階には実用でない外廻り縁と高欄を付けている。各重に千鳥破風、切妻破風、唐破風、入母屋破風を詰め込んだように配置しており、変化に富む表情を見せる。大津城天守(4重5階)を3重に縮小して移築したといわれ[3]昭和の天守解体修理(1957年(昭和32年)- 1960年(昭和35年))のときに、天守の用材から転用されたものと見られる部材が確認されている[note 1]

    [編集] 歴史・沿革

    [編集] 江戸時代

    玄宮園から天守を望む
    天秤櫓と廊下橋

    徳川四天王の一人・井伊直政は、1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いの後、その軍功により18万石にて近江国北東部に封ぜられ、西軍指揮官・石田三成の居城であった佐和山城に入城した。 佐和山城は石田三成が改築した後は「三成に過ぎたるもの…」の一つともいわれたが、直政は、中世的な古い縄張りや三成の居城であったことを嫌い[note 2]、湖岸に近い磯山(現・米原市磯)に居城を移すことを計画していたが、関ヶ原の際の戦傷が癒えず、1602年(慶長7年)に死去した。 その後直継が家督を継いだが、幼少であったため、直政の遺臣が彼の遺志を継ぎ、再検討の末、1603年(慶長8年)琵琶湖に浮かぶ彦根山(金亀山、現在の彦根城の場所)に彦根城の築城を開始した。

    工事には公儀御奉行3名が付けられ7か国12大名(15大名とも)が手伝いを命じられる天下普請であった。長浜城・佐和山城・大津城など、近隣の城の遺材を転用している。1606年(慶長11年)2期までの工事が完了し、慶長12年の天守完成と同じ頃に直継が入城した。1616年(元和2年)彦根藩のみの手により第3期工事が開始された。この時に御殿が建造され、1622年(元和8年)すべての工事が完了し、彦根城が完成した。その後、井伊氏は加増を重ね、最終的に1633年(寛永10年)には譜代最高となる35万石の大封を得るに至った。 なお、筆頭家老・木俣家は1万石を領しているが、陣屋を持たなかったため、月20日は西の丸三重櫓で執務を行っていた。これは、徳川統治下の太平の世においては、城郭というものがすでに軍事施設としての役目を終えて、その存在理由が、権勢の象徴物へと変じたためであり、徳川幕府の西国への重要な備えとしての役割を担う彦根城も、彦根藩の各組織の管轄で天守以下倉庫等として徳川時代の大半を過ごした。

    1854年(安政元年)に天秤櫓の大修理が行われ、その際、石垣の半分が積み直された。 向かって右手が築城当初からの「ごぼう積み」、左手が新たに積み直された「落し積み」となっている。

    幕末における幕府の大老を務めた井伊直弼は、藩主となるまでの不遇の青春時代をこの城下で過ごしている。直弼が青春時代を過ごした屋敷は「埋木舎(うもれぎ-の-や)」として現存している[4]

    [編集] 近現代

    天守等7棟が1951年(昭和26年)に重要文化財に指定、うち2棟(天守、附櫓、および、多聞櫓)が1952年(昭和27年)に国宝に指定された。

    姫路城とともに遺構をよく遺している城郭で、1951年(昭和26年)6月9日に国の特別史跡に指定された。これは姫路城の指定よりも5年早い。

    1987年(昭和62年)、彦根市市制50周年として御殿が復元され、「彦根城博物館」として藩政時代の調度品・武具などが展示されている。

    2006年(平成18年)4月6日には日本100名城(50番)に選定され、2007年(平成19年)6月から全国規模の日本100名城スタンプラリーが開始された。

    東映京都撮影所京都映画撮影所から場所が近いことから、姫路城とともに時代劇のロケが頻繁に行われている。姫路城に比して小規模である特徴を活かし、江戸城の代わりとして用いられる姫路城に対して、無名の城という設定での撮影が多い。

    [編集] 文化財

    佐和口多聞櫓と堀

    [編集] 国宝

    • 天守
    • 附櫓、および、多聞櫓(1棟)

    [編集] 重要文化財

    • 天秤櫓
    • 太鼓門、および、続櫓(1棟)
    • 西の丸三重櫓、および、続櫓(1棟)
    • 二の丸佐和口多聞櫓
    • 馬屋

    [編集] 探訪

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    画像-1 :天守の景観。北東より望む。向かって右の面が本来の正面である。
    画像-2 :天守 東側にある広場からの景観。
    画像-3 :北西より望む、天守と石垣。
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    画像-4 :西側から天守を見上げる。
    画像-5 :天守2階内部
    画像-6 :廊下橋 創建時は壁と屋根付きの廊下のような橋であった。
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    画像-7 :太鼓門櫓
    画像-8 :天秤櫓の門
    画像-9 :馬屋

    [編集] その他の事象

    • 外堀には水戸市から贈られた複数の黒鳥が飼育されている。

    [編集] 大衆文化のなかの彦根城

    [編集] 文学

    井伊直弼が藩主の座に就くまでに先の藩主やその候補者の多くが夭折(ようせつ)していることから、神秘的な物語の舞台に採り上げられることが多い。

    なお、国宝・彦根城築城400年の開催を機に、小説を対象に2007年(平成19年)、舟橋聖一文学賞が創設された。

    [編集] 映像文化

    上述(#近現代)のとおり、城内は『武士の一分』、『大奥』など数多くの映画や、テレビドラマのロケ地として頻繁に使われている。 例えば、天秤櫓や玄宮園、太鼓門櫓などは時代劇を観ることのある日本人であれば、知らずとも目にして馴染んでいることが多いはずである。 天秤櫓は、嫁ぎ先に到着した姫君が城の者に出迎えられたり、諸国漫遊中の名伯楽が颯爽と城に乗り込む、城主の出迎えを受けるなどする場所であるし、玄宮園は、ときの将軍さまが何かにつけ思いを巡らし、部下や姫君と語らい、斥候(せっこう)に下知する天下のお庭として“有名”である。 太鼓門櫓は、政変に慌てふためいた家来が血相を変えて駆け上ったり、絶望に打ちひしがれて遂にくず折れるようにへたり込む、あるいは、暗闇の中、肩を落として去っていくなどする場所であろう。

    [編集] 現地案内

    [編集] 所在地

    [編集] アクセス

    [編集] 利用情報

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    • 日本100名城スタンプラリーのスタンプ設置場所
      • 彦根城表門券売所

    [編集] 脚注

    [ヘルプ]
    1. ^ 京極高次が建てた大津城天守を移築したもの。
    2. ^ 内藤信成時代の長浜城大手門。
    3. ^ 天守がややずんぐりしているのはそのためであるという。
    4. ^ 昭和60年度から6年間にわたって修復を受けた。

    [編集] 関連項目

    彦根城のマスコット「ひこにゃん

    [編集] 参考文献

    1. ^ 三浦正幸監修 『【決定版】図説・天守のすべて』 学習研究社、2007年、ISBN 978-4-05-604634-2
    2. ^ 西ヶ谷恭弘ほか 『名城を歩く4 彦根城(歴史街道3月特別増刊号)』 PHP研究所、2003年

    [編集] 外部リンク

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