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現存天守 - Wielka Encyklopedia Wiedzy

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    現存天守

    出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

    現存天守(げんそんてんしゅ)とは、日本天守の内、江戸時代前後から江戸末期にかけての封建時代に建てられたものが、現代まで保存されている天守のことである。

    目次

    [編集] 概要

    姫路城鳥瞰図

    現存天守は必ずしも創建当時の建物をそのまま保存されているものということではなく、修復等を繰り返しほぼ創建当時のままを維持してきたもの(姫路城彦根城)、または、現存天守が在籍していた城が存城であった当時に再建、改築されたものがほぼそのまま残っているもの(犬山城松本城高知城丸岡城松江城など)、付属する一部の建物を焼失または改築されたもの(宇和島城)、明治維新以降に保存されるまでの経緯で付属する建物を撤去、または損失したことにより主に主体のみが保存されることになったもの(備中松山城松山城弘前城丸亀城など)などである。またこの括りには存城当時、御三階櫓などと呼ばれていたものも含まれている。

    第二次世界大戦での戦災、その戦後の失火によって焼失したもの8城(松前城水戸城大垣城名古屋城和歌山城岡山城福山城広島城)も戦前・終戦直後までは旧制度での国宝などの文化財に指定されていたものであり、現存天守と呼ばれるものであった。現在文化財として見ることができるものは主に12城のもののみであるが、そのほかの三階櫓等の天守に相当したといわれる建物(熊本城宇土櫓など)も現存天守として見る研究者や学者もある。

    ここでは、主に現在、国指定の国宝・重要文化財として見ることのできる現存12天守について記述する。

    [編集] 経緯

    織田信長に始まったとも言われる城の象徴である天守は、関ヶ原の合戦前後に築城のピークを迎えるが、江戸幕府一国一城令による破却で城郭数は激減するとともに、武家諸法度により新たな築城や増改築は禁止された。また、江戸時代を通じて災害等により焼失・倒壊し、再建されなかった天守もあったため(江戸城大坂城など)、その数は減少の一途であった。しかも、幕末から明治にかけての戦乱明治政府廃城令、また天災や第二次世界大戦(太平洋戦争)での戦災などにより、更に数多くの城郭が失われたため、今や現存天守は全国で12城しかなく、これらを総称して現存12天守という。いずれも歴史的価値の認められる建造物であるため、国宝や国の重要文化財に指定されており、その区分により「国宝四城」(国宝城郭都市観光協議会による名称)や「重文八城」と呼ばれることがある。

    また、これらは一般的に「本物の城(天守)」と言われる。その維持・保存には、文化庁の指導のもと釘一本に至るまで伝統的な城郭建築の技法を求められるため、多額の経費が必要である。なお、ちょうど12城のため、カレンダーの背景に使われることもある。

    これ以外の天守には、復元天守復興天守模擬天守がある。

    [編集] 現存12天守

    築城年 築城主 主な改修者 廃城年 備考 所在地
    弘前城 1611年 津軽為信
    津軽信枚
    津軽寧親 1871年 重要文化財史跡
    美しい日本の歴史的風土100選
    青森県弘前市
    松本城 1593年
    -1594年
    石川数正
    石川康長
    松平直政 1871年 国宝、史跡、
    美しい日本の歴史的風土100選
    長野県松本市
    丸岡城 1576年 柴田勝豊 - 1871年 重要文化財 福井県坂井市
    犬山城 1469年 織田広近 織田信康 1871年 国宝、
    美しい日本の歴史的風土100選
    愛知県犬山市
    彦根城 1622年 井伊直継 - 1874年 国宝、特別史跡
    美しい日本の歴史的風土100選
    滋賀県彦根市
    姫路城 1346年 赤松貞範 黒田孝高
    池田輝政
    1871年 世界文化遺産、国宝、特別史跡
    美しい日本の歴史的風土100選
    兵庫県姫路市
    松江城 1611年 堀尾吉晴 京極忠高 1871年 重要文化財、史跡、
    美しい日本の歴史的風土100選
    島根県松江市
    備中松山城 1240年 秋葉重信 三村元親
    水谷勝宗
    1874年 重要文化財、史跡、
    美しい日本の歴史的風土100選
    岡山県高梁市
    丸亀城 室町初期 奈良元安 生駒親正
    山崎家治
    1871年 重要文化財、史跡 香川県丸亀市
    松山城 1602年 加藤嘉明 松平勝善 1873年 重要文化財、史跡、
    美しい日本の歴史的風土100選
    愛媛県松山市
    宇和島城 941年 橘遠保 藤堂高虎
    伊達宗利
    1871年 重要文化財、史跡 愛媛県宇和島市
    高知城 1603年 山内一豊 山内豊敷 1871年 重要文化財、史跡 高知県高知市

    [編集] 12城の特徴

    日本100名城による順で、代表紋章は全国城郭管理者協議会による。また、親藩譜代外様明治維新時の区別で、石高1863年文久3年)の幕府調べによる。

    弘前城天守
    弘前城
    城内文化財: 重要文化財9棟
    代表紋章: 「津軽牡丹紋(つがるぼたんもん)」
    その他指定: 日本さくら名所100選日本の歴史公園100選、日本100名城(4番)
    城主の転封がなかった外様10万石の独立式天守[1]で、日本最北・最東端にある現存天守。1627年寛永4年)に落雷により天守を焼失した後、1810年文化7年)に幕府にはばかって名目上として3重3階層塔型構造で新築したもので、「御三階櫓」として幕府には届け出を出していた。このためか、西・北面においては、天守建築の特徴の一つである破風も見られない。城外側にあたる東・南面には窓がなく、開口部はすべて矢狭間を用いて厳重な構えになっているが、城内側にあたる西・北面には窓がある。また、寒さに対応するために鯱や屋根は銅瓦葺(木型の上に銅板を貼り付けているもの)となっている。
    松本城天守
    松本城
    城内文化財: 国宝5棟
    代表紋章: 「笹竜胆紋(ささりんどうもん)」
    その他指定: 日本の歴史公園100選、日本100名城(29番)
    譜代6万石の複合連結式天守で、「現存12天守」唯一の平城。5重6階層塔型構造で、破風が少なく、黒塗りの下見板がめぐらされているため、漆黒で簡素な外観であるが、複合連結式であるため見る角度によって異なる印象の意匠を見ることができる。
    丸岡城天守
    丸岡城
    城内文化財: 重要文化財1棟
    代表紋章: 「五瓜に五剣唐花紋(ごかにごけんからはなもん)」
    その他指定: 日本さくら名所100選、日本の歴史公園100選、日本100名城(36番)
    外様5万石の独立式天守で、最古の現存天守と言われている。1948年昭和23年)の福井地震により倒壊したが、元の古材を80%近く使用して1955年(昭和30年)に再建された。2重3階望楼型構造で、飾り外廻縁[2]と高欄[3]を有し、「現存12天守」の中では採光がよく城内が明るい点や、寒さで割れてしまう粘土瓦の代わりに石瓦が葺かれている(石のも展示)ことなどの特徴がある。
    犬山城天守
    犬山城
    城内文化財: 国宝1棟
    代表紋章: 「丸に酢漿草紋(まるにかたばみもん)」
    その他指定: 日本100名城(43番)
    譜代3万5千石の独立式天守で、丸岡城と最古の現存天守の座を争っている。3重4階地下2階望楼型構造で、この天守は実用的な外廻縁と高欄を有し、採光がよく考えられていることなどの特徴がある。
    彦根城天守
    彦根城
    城内文化財: 国宝2棟・重要文化財5棟
    代表紋章: 「彦根橘紋(ひこねたちばなもん)」
    その他指定: 日本の歴史公園100選、日本100名城(50番)
    城主の転封がなかった譜代23万石の複合式天守で、幕府普請の現存天守。飾り外廻縁と高欄を持ち、3重3階地下1階望楼型構造にして破風の組み合わせが絶妙であり、複雑な構造美と輪郭の荘厳な景観の意匠となっている。また、文禄・慶長の役の際に朝鮮半島に造られた倭城にも見られる「登り石垣」や大名庭園玄宮園」も現存する。
    姫路城天守
    姫路城
    城内文化財: 国宝8棟・重要文化財74棟
    代表紋章: 「揚羽蝶紋(あげはちょうもん)」
    その他指定: 日本さくら名所100選、日本の歴史公園100選、日本100名城(59番)
    譜代15万石の壮大な連立式天守で、日本最大の現存天守。5重6階地下1階望楼型構造で、白漆喰で塗られた白亜の外壁と屋根や破風の構成美の上、見る方向により異なった趣となる連立式であるため、当時の作事(建築)の技を現代に伝える代表的な城郭と言われている。また、「現存12天守」で唯一、天守内に神社(長壁神社)がある。
    松江城天守
    松江城
    城内文化財: 重要文化財1棟
    代表紋章: 「六つ目結紋(むつめゆいもん)」
    その他指定: 日本さくら名所100選、日本の歴史公園100選、日本100名城(64番)
    親藩18万6千石の複合式天守で、内部に井戸がある唯一の現存天守。木造銅板張の鯱を有し5重6階望楼型構造で、内廻縁と高欄を有し外装は黒い下見板張りで、二階に付けられた石落しなどの装備の点でも極めて実戦的な造りであり、漆黒の武骨荘重な意匠となっている。
    備中松山城天守
    備中松山城
    城内文化財: 重要文化財3棟
    代表紋章: 「左三つ巴紋(ひだりみつともえもん)」
    その他指定:日本100名城(68番)
    譜代5万石の複合式天守(渡櫓は失っている)で、囲炉裏がある「現存12天守」唯一の山城。2重2階層塔型構造であるが、破風付きの出窓などにより重厚な意匠を醸し出している。一国一城令により多数の山城が廃城となったため、貴重な存在ではあるが、登城には不便である。
    丸亀城天守
    丸亀城
    城内文化財: 重要文化財3棟
    代表紋章: 「四つ目結紋(よつめゆいもん)」
    その他指定: 日本の歴史公園100選、日本100名城(78番)
    外様5万1千5百石の独立式天守[1]で、日本最小の現存天守である。一国一城令により廃城になったが、1660年万治3年)、3重3階層塔型構造の「御三階櫓」として建造された[4]。北面が天守らしくなるような意匠であり、高さ66mの亀山全体を高石垣化し、その上にそびえるため、大手JR予讃線丸亀駅方面)からの眺めは小ささを感じさせない。
    松山城天守
    松山城
    城内文化財: 重要文化財21棟
    代表紋章: 「丸に三つ葉葵紋(まるにみつばあおいもん)」
    その他指定: 日本さくら名所100選、日本の歴史公園100選、日本100名城(81番)
    親藩15万石の連立式天守で、平山城の比高において最も高い位置にある現存天守(標高約160m)。天守丸の上に築かれた3重3階地下1階層塔型構造の天守は、黒船来航の翌年、将軍徳川家とゆかりのある松平家により復興されたもので、「現存12天守」で唯一、築城主として「葵の御紋」が付されており、日本最後の完全な城郭建築(桃山文化様式)。1・2重を下見板張り、3重目は白漆喰の塗られた外壁に飾りの外廻縁と高欄が付けられている。最上階には「床の間」がある。また、「登り石垣」や登城のための「城山索道」がある。
    宇和島城天守
    宇和島城
    城内文化財: 重要文化財1棟
    代表紋章: 「抱き竹の丸に対い雀(宇和島笹)紋(だきたけのまるにむかいすずめもん)」(宇和島藩)
    その他指定: 日本の歴史公園100選(二次)、日本100名城(83番)
    外様10万石の独立式天守で、日本最南・最西端にある現存天守。3重3階層塔型構造で、白漆喰の塗られた外壁や破風と屋根・青銅製の鯱などの調和がよく取れた意匠となっている。また、「現存12天守」の中で、唯一、城内に障子建具が残っている[5]。大名庭園である「天赦園」も現存している。
    高知城天守
    高知城
    城内文化財: 重要文化財15棟
    代表紋章: 「丸に細三つ柏紋(まるにほそみつかしわもん)」
    その他指定: 日本の歴史公園100選、日本100名城(84番)
    城主の転封がなかった外様24万石の独立式天守で、天守台がなく本丸御殿(現存)に入口がある現存天守。青銅製の鯱を有する4重6階望楼型構造で、白漆喰で塗られた外壁に、実用的な外廻縁と擬宝珠高欄や大きな引戸により、1747年延久4年)に再建されたものであるが古式で開放的な意匠となっている。

    [編集] 脚注

    [ヘルプ]
    1. ^ a b 独立式ではないとの説もある
    2. ^ 廻縁(まわりえん):建物の外か内の周囲を回る縁側)
    3. ^ 高欄(こうらん):意匠的な手摺・欄干
    4. ^ 武家諸法度のため天守と名乗れなかった
    5. ^ 廃城時に建具は持ち去られていることが多い

    [編集] 関連項目

    ウィキメディア・コモンズ

    [編集] 参考文献

    • 『城の鑑賞基礎知識』 著者:三浦正幸 発行:至文堂
    • 『復原図譜 日本の城』 著者:西ヶ谷恭弘 発行:理工学社
    • 『よみがえる日本の城23・24 天守のすべて①・②』 監修指導:中井均・三浦正幸 発行:学習研究社(歴史群像シリーズ)
    • 『決定版 図説・天守のすべて』 監修:三浦正幸 発行:学習研究社(歴史群像シリーズ)
    • 『ビジュアルワイド 日本の城』 監修:大和田哲男 発行:小学館
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